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教養としての認知科学

読書

鈴木宏昭「教養としての認知科学

論理学的、統計学的には一つのタイプとみなされる問題に対して、複数の認知リソースを持っており、どの認知リソースをが使われるかは文脈に依存する

問題の形式をとらえ、理解しやすい形へ変換することは重要。

 

意識できない情報が私たちの記憶システムの中のどこかにどどまり、それがこれまた意識できない形で現在の試行を評価したり、制約の緩和に関わったりしているのである。意識システムのほうは、こうしたことに全く気づくことなくひたすらだめ出しをし続けている。 しかし、その間に無意識的な認知と学習のシステムが、適切な試行の良い部分を評価して、それを生み出すリソースの強度を高める一方、まずい試行の原因となるリソースの強度を弱める。こうした無意識のはたらきによって、私たちは徐々に変化していく。結局、ひらめきとは、意識できない自分の見事さに驚くことなのだと言えよう。

 

無意識が解決してくれることを経験的に理解しているが、それは真であるらしい。

 目の前の解決できない課題も『やらねばならぬ』のならばやるしかないのだから、改めてぼやぼやする時間を減じて、即取りかかるようにすべし。

 

発達においても洞察においても、ゆらぎの多い人たちは次のレベルの思考への変化が行われる一方 、一貫したやり方しか使わない人たちは一つの場所にとどまり、その先へ進むことはない。